運転を哲学する男 小林眞のコラム 8 安全運転の価値 その3

人の運転行為とは、その時々の判断に基づいた行動であるように思われますが、実は習慣的な行動です。

私たちは、運転中に周囲の状況を判断してアクセルやブレーキ、ハンドルを操作しているため、その瞬間ごとの判断と行動を繰り返しているように感じていますが、そのほとんどは習慣的な行動の繰り返しです。

例えば、時速40km/hの規制道路を走行するとき、50km/hで走るか55km/hで走るか、あるいは信号が黄色に変わったときにブレーキを踏むタイミングなど、それはその時々の判断ではなく、いつもの運転習慣にすぎないのです。

そして、その習慣的な行動とは、その人の行動規範によって形成され、その行動規範はその人の価値観に根差しています。更に、その価値観とは、その人の経験によって形成され、過去の運転行動もこの経験に含まれますから、全体が循環することになります。(運転行動→経験→価値観→行動規範→習慣的行動⇒運転行動)

その結果、安全運転を行うことの価値を正しく理解して自分のものとしない限り、恒常的な安全運転はできないことになります。

 

安全運転を行うためには、高い安全意識を持ち、そこに価値を認めることが必要です。そして安全運転の価値を認めることとは、人の自由の価値を認めることと同義です。

つまり、安全運転の価値とは、そこに人の自由と同じほどの価値を認めて自ら行動する人、その人格の価値に等しいものなのだと、私は考えているのです。

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