安全運転について、私たちは当然のことと思うだけで、深く考えてきたことはなかったに違いありません。車の運転とは、単なる移動手段ではなかったのです。人が生きていく中で、生活の行動基盤となるのが車の運転であり、それは、もっと真剣に向き合って考える必要があったはずなのです。
つまり、交通事故の加害者にも被害者にもならないということとは、過去の私たちが漠然と感じてきたこと、その何倍もの価値を持っているということです。そのことに気付かず、あるいは気付かないふりをして、私たちの社会は、これまでの時代を過ごしてきたのではないかと思っています。
今、自動車の安全機能は急速に進化しています。こうした時代であればこそ、私たちが本当の安全運転を行い、それを習慣とすることの大切さ、社会的な意義について、一人でも多くの人たちと共有することが必要です。
車を運転するという行為、行動とは、単なる移動手段ではなく、私たちが生きていくことを支える重要な行為、行動そのものです。だからこそ、もっと大切に、もっと安全であることを大切にしなければなりません。
そして、私たちが安全運転の価値を共有し、安全運転を習慣とすること、それは、交通事故を減少させ、誰かの命を守るだけではなく、新しい交通環境を創り上げ、新しい社会を創出するという目的に向けた、現在を生きる私たち自身の決意と行動のことなのだと、私は考えています。