運転を哲学する男 小林眞のコラム 11 知識と意識

これまでのコラムをお読みいただくと、私の話は「知識」のことよりも「意識」に重点が置かれていることに気付かれると思います。

知識よりも意識が大切だということの具体的な例として、シートベルトの着用率についてお話しします。

 

令和5年、一般道のドライバーのシートベルト着用率は99.2%でした。つまり、ほとんどのドライバーがシートベルトを着用して運転しています。

ところが、交通事故で死亡したドライバーの着用率は、99%どころかわずか59%であり、死亡した788人中の323人、41%が非着用だったのです。(着用不明分を除く)

運転中にシートベルトを着用しないドライバーは1%に満たないのに、死亡したドライバーの40%以上が非着用であるという現実、このデータをどう読むか。

A警察本部は、県内で死亡した過去3年間の非着用死亡事故31件を分析し、その半分はシートベルトを着用していれば死亡しなかったとの結論に至り、広報した。「ドライバーの皆さん、必ずシートベルトを着用して運転してください。シートベルトをしていれば、半分の命は助かったはずなのです」

私はこの広報を聞いて、担当者に告げました。「そんな広報は無駄だから止めなさい。シートベルトを着用せずに事故を起こして命を失ったドライバー、彼らが死亡したのは、シートベルトをしていなかったからではありません。彼らが自らの命を失ったのは、シートベルトすらしないという、極めて低い安全意識に基づいて運転していたからです。

シートベルトすらしないドライバーは、自分勝手な乱暴な運転をしていたに違いないと私は思っています。そんな運転をしていたから事故を起こし、自分の命を失ったのです。

その広報は、既に着用している99%の人には価値がなく、残りの1%には伝わらない。シートベルトすらしないドライバーとは、聞く耳を持たない人たちだからです」

事故を防ぐためには、安全運転を続けるべきだという「知識」ではなく、そこに価値を認め、それを実行する「意識」こそが大切だと私は考えています。

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