運転を哲学する男 小林眞のコラム 30 歩行者保護 その4

(前号から続く)

ある日、顔見知りの記者が署長室を訪れ、こう切り出したのです。

「署長、歩行者保護運転の重要性は理解できますが、検挙活動を優先させることはドライバーの不満や反発を招き、理解を得られないのではありませんか?

当分の間は指導警告を優先すべきだと思うのです。失礼を承知で申し上げますが、署長はご自身の退職までに成果を出そうと思っていませんか?」

 

私は答えました。「結論を申し上げるなら、今、そうしない限り、歩行者の命、ドライバーの人生を守れないからです。

私は、ドライバーの安全意識を向上させることによって運転行動を変化させる、ドライバー自身の進化によって、交通事故のない交通環境を実現していくことが必要なのだと考えています。

警察署長として最後の一年半、そこで残したいものとは、一時の成果ではありません。私が残したい、残さなければならないと考えているのは、この街の交通環境が進化していく、そのための最初の、確実な一歩です。

安全意識の変化というものは、抽象的で数値評価することはできません。そして、仮に安全意識が変化したとしても、その結果として交通事故が減少傾向を示すとは限りません。

しかし、成果・結果の評価が困難な警察活動であっても、それが必要である限り、それを継続することが大切であり、成果が見えなくても引き返さないという覚悟が必要なのだ。それこそが市民が期待し、その信頼を得ることのできる警察活動の在り方なのだと考えていたのです。

指導警告を10年間続けても、ドライバーの意識、その運転行動を変化させることはできませんが、検挙活動を継続することによってドライバーの意識と運転行動の変化を促すことは可能なのです」

 

「そうだとしても、歩行者の事故を防ぐためには、歩行者自身も道路交通法を守り、夜間は明るい服装に努めることなどが必要です。ドライバーばかりに事故防止対策を強要するのは不公平ではありませんか」

 

「確かに、歩行者の安全意識を向上させることも必要です。しかし、ほとんどの歩行者事故とは、ドライバーの安全運転によって避けることができるのです。まず最初に実現すべきは、歩行者保護を基本とするドライバーの安全運転です。

そして、死亡事故・重大事故の加害者とは、無謀な違反を繰り返すドライバーばかりではありません。その大半は、私たちのようにごく普通のドライバーであり、事故の結果、被害者の命だけではなく、私たちの誰かがその人生を失うことを忘れてはなりません」

 

(次号に続く)

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