運転を哲学する男 小林眞のコラム 27 歩行者保護 その1

道路交通法がすべて守られていれば、交通事故は発生しませんが、「ルールを守れ」という指導だけで事故をゼロにすることはできません。人は過失から免れることができないからです。

そして、「ルールだから守れ」という教えは、人に強制することであって、強制的な指導が人の自由意思を形成することはなく、指導を受けた人の行動変化は一時的で形式的なものにすぎません。

道路交通法で決まっているから守るという考え方ではなく、決められているその理由や必要性、守ることの価値について考え、伝えることが必要です。

私たちが身に付けるべきは、仕方なくルールを守る運転ではなく、その価値を認めて、自らの意思で正しい運転行動を行うことです。

 

K警察署長に着任し、私は考えていました。警察署長にとって交通事故抑止は重要な課題ですが、過去と同じように、死亡事故の対前年比の減少を目指すのではなく、この街の将来の交通環境に変化を与える施策・対策こそが必要であり、それこそが私の仕事なのだと考えていたのです。

交通事故防止活動は、誰も反対しません。誰もが理解し、協力してくれます。しかし、それでは不十分なのです。理解と協力ではなく、納得・共感して支持してくれる施策・対策の提案と実行が必要なのだ、そうでなければ、人の運転行動に変化を与え、交通環境を改善することはできません。

私が決めたのは、「子どもの事故防止」でした。当時から高齢者の死亡事故が増加しており、その対策が叫ばれている中でしたので、いささか乱暴な提案でした。しかし、納得・共感を得られる警察活動、支持を得られる警察活動の在り方はここにあるはずだと考えていたのです。

 

その出発点が、歩行者保護運転でした。私が小学生の頃(はるか昔の1960年代)、先生から「横断歩道を渡りなさい」と教えられました。でも、横断歩道で待っていても、止まってくれる車などありませんでしたから、横断歩道ではない近くの場所を渡っていました。

それから50年を経て、警察署長になっていた私は横断歩道で待っていましたが、止まる車はありませんでした。そうだ、あれから50年間、子どもたちに横断歩道を渡りなさいと教え続けてきたのに、教えた大人たち、警察組織は、横断歩道で車が止まらない現状を変えようとはしなかった。こんなことで、子どもたちが将来、良いドライバーに育つはずがないと、私は思ったのです。

 

(次号に続く)

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