運転を哲学する男 小林眞のコラム 34 歩行者保護 その8

(前号から続く)

このように、道路交通法では、事故を防ぐ運転の具体的な方法まで定められています。しかし、道路交通法で定められているから守りなさいと伝えると、「知らなかったから仕方がない」という答が平然と返ってきます。

免許証を持って運転する以上、知らないことはそもそも許されませんが、道路交通法の規定など知らなくても安全運転はできます。

例えば、横断歩道の右側半分が、対向車線の渋滞車両で隠れて見えない場合、あるいは生活道路の交差点で見通しがきかない場合、多くのドライバーは自分が優先だからと、漫然と走行することによって歩行者・自転車の発見が遅れ、事故が発生しています。

「見えなかったから仕方がない」のではなく、「見えないのであれば減速する、徐行する、それでも見えなかったら止まってでも確認すること」、これがドライバーの基本的な義務であることだけを知っていれば、安全運転は誰にでもできるのです。

 

そして、ドライバーが歩行者保護を徹底する、安全運転を続けることによって、これまで発生していた交通事故は半減し、交通死亡事故は、ほとんどゼロにすることができるのです。

私たちドライバーが、過去の運転行動を見直し、反省し、本当の安全運転を行うべきですが、それは決して難しいことではありません。私たちには、安全運転の知識が不足しているのではなく、安全運転を行う、続ける、習慣とすることへの意思が不足しているだけなのです。

私たちドライバーが安全意識を高め、運転行動を変えることで、被害者の心と身体、その命を守るだけではなく、ドライバー自身の人生を守ることができるのです。

 

さて、私たちはこれまで多くの経験を経て生きてきました。嬉しいこと、楽しいことばかりではなく、むしろ辛いこと、悲しいこと、苦しかったことの方がずっと多かったように思います。

それぞれの経験を経た姿が現在の自分に他なりませんが、楽しかった経験、苦しかっただけの経験、それらどんな経験も無駄ではありません。その経験を無駄にするかどうかは、これからの自分自身なのだと思っています。

ただ、交通事故という現実、その経験だけは、私たちの人生を充実させたり豊かにすることはありません。交通事故だけは、防ぎ続けること以外に方法はないのです。

起こしてしまった事故は、なかったことにできません。奪ってしまった命は取り戻せず、失った自分の人生を取り返すこともできません。私たちにできること、それは、少しの努力を惜しまずに安全運転を続け、交通事故を防ぎ続けることだけです。

安全運転を続けることの価値、それを見失うことなく自分のものにすること、安全運転を習慣とすること、これこそが現代を生きる私たちが身に付けるべき大切な知恵なのだと思っています。

そして、その出発点が、歩行者保護運転なのだと考えているのです。

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