運転を哲学する男 小林眞のコラム 9 安全運転が難しい個人的理由

交通事故を防ぐことの大切さ、そのための安全運転の必要性は誰でも知っているのに、交通事故がなくならないのは何故なのか。安全運転ができない、難しい、その理由について考えてみます。

 

その1は、「自己過信」、私は大丈夫、という思い込みです。

お嬢さんを助手席に乗せ、シートベルトをさせないまま車を運転するママの姿を見ます。心配になって「危ないですよ」と声をかけると、「ありがとうございます。でも、大丈夫、私は気をつけていますから」と明るい答えが返ってきます。

そうです、お子さんを乗せて気をつけないママなどいません。みんな気をつけて運転しています。それでも、追突してお子さんは顔面を骨折し、一生消えない傷を負う事故は後を絶ちません。

「私は大丈夫」、こんな自己過信こそ、私たちの安全運転を難しいものにしています。

その2は、重要性の認識不足です。

車を運転することは、誰かの命を奪ったり、自分の人生を失う可能性のある危険な行為です。しかし、毎日繰り返し運転することで運転することに慣れ、その重要性についての意識が乏しくなります。

加えて、運転することそのものが目的ではなく、どこかへ行くための手段であるために、重要性についての認識は薄れてしまいます。

その3は、保証がないことです。

どれほど安全運転に努めていても、絶対に事故を起こさないという保証など、残念ながらどこにもありません。

それでも安全運転に努め、続けるためには、安全運転についての価値を認めることが必要ですが、その価値を見つけるためには少しの努力と決意が必要です。そしてその価値を見つけていただくために、私はコラムを書き続けているのです。

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